空っぽの巣跡

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おや?
お向かいの軒先に巣作りした「ムクドリ親子」の姿が、いつの間にか消えてしまって。

巣立ちまでの数週間、そっと「子育ての観察」を楽しませてもらいました。

雨の日も風の日も、かいがいしく餌を運ぶ親鳥の姿を、我が身と重ね合わせてみたり。

日増しに力強くなる雛鳥たちのさえずりを聞いて、育ち具合を推し量ったり。

時には、カラスから幼子を守るために、けたたましい鳴き声で威嚇のポーズを見せてくれたり。

あの「ムクドリ親子」は、何処に飛んで行ったのやら。

後に残された「空っぽの巣跡」を見ると、ちょっと寂しくも。

世の中には、「空の巣症候群」(Empty nest syndrome)と名付けられた一過性のメンタル症状があるとか。

それまで生きがいだった子供が独立したり、結婚した時に訪れる不思議な「空白感」や「寂寥感」。

一緒に居る間は、やたら手が掛かる面倒な存在と思っていたはずなのに。

漢文学者の白川静さんは子供の頃、「親」という字は、「木の上に立って子を見守っている姿」と教えられたそうな。

その俗説とは異なり、正しくは「立」は「辛」の省略形と。

「辛」は、取っ手がついた針の形を意味し、針を投げて「位牌の神木」を選ぶ古代中国の儀式が由来。

白川学説によれば、「親」という字は、父母の位牌をじっと見つめて拝んでいる姿を表しているとのこと。

今日もどこかで、木の上から辛抱強く我が子の自立を見守るムクドリの父母。

さっさと巣立たれるのも辛く、いつまでも一緒でスネを齧られるのも辛いと思う親心の両面性。

「空っぽの巣跡」の置き土産は、「親とは辛なり」だったのかも。

ローカルマスクを楽しんで

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今朝、姉が送ってくれた手作りの「花柄マスク」が届き、家内は大喜び。

ウィズコロナ時代の必需品となったマスクは、性能の高低もさることながら、「ファッションアイテム」の一つとなったようで。

この新しいトレンドにも、日本各地のローカル色が。

岡山のデニムマスク、新潟の小千谷縮マスク、京都の西陣織マスク、石川の加賀友禅マスク、愛媛の今治タオルマスク等々、お国自慢の伝統工芸品の応用で続々と。

シャープやユニクロのマスプロ商品とは、一味違った魅力があって。

沖縄にも、郷土色豊かなマスクが。

「琉球紅型」の素材や「かりゆしウェア」の生地を用いたり、ハイビスカスやシーサー柄をデザインした「美ら海マスク」。

いいですよね。マスクを通して「南国の空気」を吸っているような気分に。

梅雨が明けた沖縄では、そろそろゴールデンシャワー(マメ科の植物で別名ナンバンサイカチ)が見頃。

夏の訪れを告げる黄金の花は、ほのかな甘い香りを漂わせて。

沖縄の旅には、やっぱり「美ら海マスク」が似合いそう。

マスク収集が趣味化しつつある時代だから、訪れる場所に合わせた「マスクコーデ」が流行るかも。

遊び心やおしゃれ感に溢れたローカルマスクを楽しんで。

「モノと思い出」が重なり合う日本ならではの文化でしょうか。

雨がしとしと日曜日

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梅雨本番の日曜日。

こんな時、僕たちの世代が思い浮かべるフレーズは、”雨がしとしと日曜日”。

60年代ポップスのヒット曲「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)の歌詞です。

主役は勿論、ジュリー(沢田研二)ですが、それもサリー(岸部一徳)という名脇役の存在があってこそ。

彼は古希を迎えて一層、独特のキャラに磨きがかかり、「ドクターX」では、オネイ言葉のオカマ味やお茶目なスキップ姿で。

「相棒」の官房長役では、杉下右京にこんなセリフを。

「正義の定義なんて、立ち位置で変わるもんでしょ。まさか絶対的な正義が、この世にあるなんて思ってる?」

ニヒルで怪しげな悪党だろうが、飄々とした間抜け役だろうが、何でもござれ。

彼の持ち味は、能面の如く「無表情な顔」にあるとの説が。

ご本人は、「正体不明でいたほうがいいので。いろんな人の日常にすっと入っていけますから」との弁。

ギリシア劇に登場する役者用の「仮面=ペルソナ」に繋がるようにも。

ユング心理学では、人は周囲に適応するため「ペルソナ」を着けて生活するが、真の中身には異なった「内的側面」があると。

そう言えば、ラグビー日本代表にも「笑顔なき仮面」を被った男が。

過酷な戦場での喜怒哀楽を抑え込むために、稲垣選手には笑みを消し去った「無表情のペルソナ」が相応しかったようで。

然れば、「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」とは?

宮崎駿監督は、「自分の居場所を求めて彷徨い続けるカオナシ。それは誰の心の中にもいる」と。

実は「カオナシのモデル」は、組織に染まり、自分を見失なってしまった会社員とのこと。

う〜ん、確かに。勤め人だった頃の自分も「カオナシ」だったのかも。

今、「我れのペルソナは?」と自問自答すれば。

家庭の父親、企業経営の助言者、木版画の作家の三つの仮面を、場面に応じて着け変えているのかな?

ペルソナには、人の内面に及ぼす作用があるので、それが「相剋」なのか、「調和」なのかの問題で。

そんなことに思いを巡らせた”雨がしとしと日曜日”でした。

「爽快な気分」を取り戻す特効薬

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本州は梅雨入りしましたが、沖縄ではもうすぐ梅雨明け。

梅雨の風物詩といえば、アジサイとカタツムリでしょうか。

沖縄県本部町にある饒平名(よへな)ウトさんの個人庭園「よへなあじさい園」が見頃を迎えたそうな。

個人庭園といっても、1万平方mの山の斜面に1万株、約30万輪もの紫陽花が咲く見事さ。

一昨年に100歳で亡くなられたウトさんは、地元で「アジサイばあちゃん」と親しまれて。

梅雨明けの沖縄では、たった一夜だけ咲き、夜明けに散ってしまう幻の花「サガリバナ」も必見。

サガリバナの特徴は、何といっても無数に伸びる淡いピンク色の雄しべ。その姿は、まるで幻想的な花火のように。

バニラみたいな甘い香りに虫たちが引き寄せられて、受粉のお手伝いを。

嗚呼、美ら海沖縄に行きたい!

渡航自粛要請中に沖縄をうろついた顰蹙タレントもいましたが、6月初からは部分解除されて。

美ら海水族館や首里城公園など、営業を休止していた観光施設も次々に再開して。

今月下旬には、残る6都道県との往来も含めて全面解除を予定とのこと。

「爽快な気分」を取り戻す特効薬は、スカッと晴れた青空と美しい海。

この夏は、本島、石垣島、宮古島、西表島の何処を拠点に旅しようか、アレコレと思いを巡らせて。

アゲハ蝶の眼には?

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今年もまた、夏アゲハの季節に。
ヒラリヒラリと優雅に舞う姿は、人の心を和ませてくれます。

芋虫・毛虫の幼少期には嫌われがちですが、美しい成虫になるとこよなく愛される不思議さ。

平安時代の「堤中納言物語」の中には、虫愛づる姫君の話が。

この姫君は、幼虫が蝶々に変わっていく様子を眺めて楽しんだと。

一千年前の日本に、「元祖ムシガール」がいたことにビックリです。

古くから、アゲハ蝶は「復活と再生」を象徴する生き物と信じられていたそうな。

それ故に、永遠の繁栄や幸福を願う一族の家紋に用いられて。

平清盛などの桓武平氏から、織田信長の家紋にまで。

身近な所では、歌舞伎の名門「播磨屋」にも受け継がれて。

二代目中村吉右衛門さんの自叙伝の題名は「夢見鳥」。

「夢見鳥」とは蝶々の別名で、荘子の「胡蝶の夢」が由来のようで。

夢から醒めた時、「人間である自分」が蝶になった夢を見たのか、「蝶である自分」が人間になった夢を見ているのか?

夢の中の蝶は、目覚めるまで自分が蝶以外のものであろうなどとは思いもしなかったはず。

ひょっとしたら人間の一生も、「一夜の夢」に過ぎず、それに気づかずに生きているのかも。

ちなみに、織田信長は「辞世の句」でこんな言葉を。

人間50年
下天のうちをくらぶれば 
夢幻のごとくなり

地球上の生態系において、ホモ・サピエンスは数百万種の生き物の中の「ただの一種」に過ぎず。

新型ウイルスの脅威に慌てふためく人間界は、アゲハ蝶の眼にはどう映っているのやら。

この期に及んでも、「差別と偏見」や「搾取と弾圧」が横行する情けない世界。

「自然の摂理」に従って生きるアゲハ蝶のほうが、よほど幸せなのかも。

愛称は「おむすびころりん」

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コロナ騒動が長引いて、ついつい俯きがちな日々ですが、たまには夜空の星を見上げて。

あまり話題にされませんが、宇宙に輝く「希望の星」を。

今月、小惑星探査機「はやぶさ2」は、地球帰還を目指すラストランを開始しました。

年末頃に、小惑星「リュウグウ」の砂や石が入っている「玉手箱」(カプセル)を、豪州の砂漠に送り届ける予定と。

思えば6年前に地球を飛び立ち、総飛行距離32億kmの長旅を経て、目的の小惑星「リュウグウ」へ。

史上初の偉業の中でも、圧巻は銅製の衝突体を撃ち込んで作成した人工クレーター。

クレーターの愛称を「おむすびころりん」と名付けたのは、ナイスな遊び心で。

お伽話のように、穴の中にネズミはいないでしょうが、ひょっとしたら未知の微生物が見つかるかも。

「初代はやぶさ」は大気圏に突入して燃え尽きましたが、働き者の「はやぶさ2」は玉手箱を届けてすぐに軌道を変え、別の小惑星に旅立つ予定と。

「リュウグウ」の次に向かう先は何処なのか興味津々。

宇宙のどこかでまた、「ニライカナイ」のような桃源郷を探す物語を期待しましょう。

時を待ち続ける蜘蛛

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雨上がりの朝、庭の片隅に蜘蛛の巣を見つけて。

放射状に連なる水滴ビーズが、「自然のアート」のように。

じっと静かに「捕獲の時」を待ち続ける蜘蛛の姿が、妙に印象的。

人間界では自粛要請の中、賭け麻雀に興じる検事長やパチンコ店に通う市会議員、はたまた花見と旅行に遊び惚ける首相夫人。

とかく人間という生き物は、辛抱強く「時を待つこと」が苦手なのかも。

「究極の自己隔離」をイメージすると、南極に暮らす越冬隊員やISS(国際宇宙ステーション)に滞在する宇宙飛行士を。

隔絶された空間の中で、「帰還の時」を信じて、ひたすら待ち続けた経験の持ち主。

ISSに滞在経験がある元宇宙飛行士から、こんなアドバイスが。

*スケジュールを立て、それに従って行動する。
*時には趣味を楽しむ時間を過ごす。
*毎日欠かさず、日記を書く。
*ネットで家族や友人と対話する。
*ルールの範囲内で、外に出る。

普通にシンプルで、誰にでもできることですよね。

別れ道は、きっと「その時が来る」と信じて、心静かに待てる人か、待てない人か。

待つことに耐えられない人には、「我慢の鬼」参拝(板橋区乗蓮寺)がお薦めかも。

庭先の蜘蛛は、いつも通りに「捕獲の時」を信じて、待ち続けているようです。

「今この時」を楽しんで

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晴天の朝、普段と何も変わらず、小鳥たちの囀りが聞こえてきます。

いま、私の「カワセミ4羽」は、パリのギャラリー倉庫で春眠中。

いつ頃に目覚めて、羽ばたく日が来るのやらと思っていた所、少しホッとする知らせが。

自粛を余儀なくされていたドイツの博物館や美術館が段階的に再開し、フランスでも5月11日からギャラリーや小規模な博物館・美術館が条件付きで再開予定と。

この騒動の中、思いを伝え始めたアーティストもおられて。

草間彌生さんは、魂を込めてこんなメッセージを(長文ですが引用)。

“我々の念願の彼方に輝く絶大なる希望を、いつも願ってやまない。
その光こそ来たれ。
それは我々が待ち望む大いなる宇宙の輝きである。

人々が暗黒の世界に退けられてしまっている今こそ、
宇宙の中で広がった我々の希望の極地に、神よ来たれ。

最愛の人間たちの一人一人、その歴史の中で、
今こそ我々の魂への愛の讃歌を求めていこう。
この歴史的な脅威の中に、刹那に輝いた素晴らしい未来を
歌い上げたいと思わないか。

(中略)

我々の前に立ちはだかった新型コロナウイルスよ。
地上から消えてゆけ。
我々で戦ってやる。
この計り知れない魔物と戦ってやる。

世界中の人々よ、今この時こそ全ての人類が立ち上がって欲しい。
そして、すでに戦っている人々へありがとうと言いたい。”

その通りですよね。
世界中の人々の切なる願いは、以前のような「平凡な日常」が戻ってくること。

「終息」はできなくとも、いつかは「収束の時」が来るから。

その時、戻ってくる日常とは?

イタリアの文筆家パオロ・ジョルダーノは、話題作「コロナの時代の僕ら」で、こんな問いかけを。

“すべてが終わった時、本当に僕たちは、以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか?”

なるほど、一考の価値あり!

人生の楽しみ方や、仕合わせ感の求め方。
物事の優先順位や、自然環境との付き合い方。
人と人との繋がりや、意味ある時間の過ごし方等々。

ひょっとしたら、Before/Afterで変わるのかも?

そんな人間の「揺れる思い」にお構いなく、小鳥たちは、いつものように「今この時」を楽しんでいるようです。

「時の旅人」のように

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昨今の日々は、母港に「停泊する船」のイメージ。

長い航海で痛んだ船体を補修し、クルーの英気を養う機会のよう。

外の嵐が「過ぎ去る時」を待ち、いつかまた、「船出の時」が来る日まで。

ふっと浮かんできたメロディは、懐かしき「時の旅人」。

緑の草に抱かれて
手のひら枕に 少し眠ろう
何を急いで生きてきたのか
こんなに静かな空の下で
流れる雲が 昔話を
つぶやきながら 過ぎてゆく

ご存知ドラえもんの映画「のび太の日本誕生」のテーマソング(武田鉄矢作詞、堀内孝雄作曲)です。

のび太とぺガの別れの時、西田敏行さんの優しくも哀愁漂う歌を聞いて、涙した方は多かったかも。

確かに「何を急いで生きてきたのか」と、ちょっと考えさせられたり。

パパラギ(文明人)はいつも時間が足りないことを嘆き、天に向かって「もっと時間をくれ!」と不平をいう。

日が出て日が沈み、それ以上の時間は絶対にあるはずはないのだが、パパラギはそれでは決して満足しない。

「時の旅人」の二番には、こんなフレーズも。

海に沈む夕日の前で
優しくなろうとしみじみ思う
私の心よ もっと広がれ
夕焼け映す海のそばでは
寄せ来る波が思い出話を
遠い沖から運んでくる

目に見えぬ極小の存在がもたらしたもの、それは「時間の減速」。

緩やかな時を過ごし、「流れる雲の昔話」や「寄せ来る波の思い出話」を楽しんで。

「優しくなろう」としみじみ思えたら、さらに良しなのですが、凡夫の身には果たして?

「願い」と「運命」を繋ぐもの

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街中は今、ハナミズキが真っ盛り。

我が家の庭にも「薄紅色」の花が。

見上げるよりも、2階のベランダから見下ろした方が、よりきれいに見えて。

ハナミズキと言えば、一青窈さんの名曲を思い出します。

あの史上最悪の同時多発テロ「9.11」の直後に、「人類の平和への祈り」を込めて作られたそうな。

人間誰しも、自らの無力さを感じた時、何かしら「偉大な存在」にひれ伏して祈る。

「苦しい時の神頼み」と言ってしまえば、ややご都合主義で場当たり的かもしれませんが。

以前のブログで、ガンで亡くなられた歌人河野裕子さんのこんな話を。

「私たちが古刹を訪ね、仏様を見れば手を合わせて拝むのは何故だろう。何百年もの間、数限りない人々が、逃れようのないこの世の悲しみと苦しみを負いながら最後にしたことは祈るということだったのではないか。誰にもすがる事ができず、為すすべがなく、それでも生きていかなければならなくなった時、人には祈ることしか残っていない」。

若き日に愛読した「出家とその弟子」(倉田百三)には、こんな言葉も。

弟子唯円が、「人間の願いと運命とは、互いに見知らぬ人のように無関係なのでしょうか」と尋ねた時、親鸞はこのように答えた。

「願いとさだめとを内面的に繋ぐものは祈りだ。祈りは運命を呼び覚ますのだ。運命を創り出すといってもいい」。

うーん。何度読んでも大納得!

お参りしたいお寺や神社はあっても、自粛規制で身動きできなければ、遥拝(ようはい)でも。

ちなみにハナミズキの花言葉は「耐久する力」(durability)。
まさに、「君と好きな人が百年続きますように」ですね。

ハナミズキの並木道を散歩中、和菓子店のこんな看板を見て、束の間の「ほんのり感」を味わいました。