ささやかな「贅沢気分」

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週一のアラームオフで、心和む日曜日は、秋の虫の音色で目覚めて。

待ち望んだMacデリバリーが始まり、早速「朝マック」を注文。

ウィズコロナの世の中、便利になったことの一つかも。

家族それぞれがお好みのチョイスで、フィレオフィッシュやソーセージエッグ、ホットケーキやデラックスプレートなど。

まだ暖かいままのマックが、僅か30分ほどでご到着。

配送料の300円は、居ながらにしての「自宅ルームサービス」と思えばリーゾナブル。

ささやかな「贅沢な気分」を味わった9月最終の日曜朝でした。

今年も残す所、あと3か月。

始めから作り直した「青鷺シリーズ」の一作目は、版木の彫りが終わって「摺りの工程」に。

作品名は「Heron in Flight」(サブタイトル「碧き羽音」)に決めて。

新たな試みとして、「翔び立つ動き」を金箔粉(砂子)を散りばめて表現しようと。

初のチャレンジなので、どうなることやら楽しみです。

百日紅と北斎の娘

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夏が終わり秋を待つ時節に、目を和ませてくれるサルスベリ。

我が家の庭は紅色ですが、ご近所にはピンクの花も。

花期が長く続くサルスベリは、漢字で「百日紅」と。

「百日紅」で思い出すのは、葛飾北斎の娘お栄(葛飾応為)の生涯を描いた杉浦日向子さんの漫画。

北斎をして、「美人画にかけては応為に敵わない」とまで言わせた浮世絵師です。

「親父と娘。筆二本、箸四本あれば、どう転んでも食っていける」との名台詞。

もう一つ、お栄が主役の物語があって。

今から3年前に放映されたNHKドラマ「眩(くらら)〜北斎の娘〜」(原作者は朝井まかてさん)。

「父は眩しい光、自分はその影でいい」と、高齢で筆を動かせなくなった北斎を支え続けて。

彼女が辿り着いた境地は、「この世は光と影でできている。影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる」。

木版画制作に試行錯誤する私にとっても、「なるほど、納得!」。

ちなみに、杉浦さんはお栄の物語に何故「百日紅」と名付けたのかが気になって。

「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」(加賀千代女)。

次々と新しい作品を産み出し続ける逞しさを、江戸の浮世絵師に重ね合わせて名付けたのかも。

サルスベリの花期が終わる頃に、秋の風物詩の花たちが。

甘い香りを漂わせる金木犀、涼やかな風に揺れるコスモス、妖しくも妙なる風情の曼珠沙華。

一つ、残念なお知らせが。

埼玉県日高市の巾着田公園に自生する約5百万本の曼珠沙華は、咲く前にすべて刈り取られたそうな。

開放的な野外であってすら、コロナ感染対策が必要???なのかしら。

来年には、心置きなく季節の花々を楽しむことができますように。

「虫の声」に癒されて

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長引く暑さで、夏バテ気味の方も多そうですが、もうすぐ9月。

夕方になると、「晩夏の風物詩」ツクツクボウシの鳴き声が。

日本人が好む蝉の声と言えば、おそらくヒグラシが一番人気。

哀愁を帯びた「カナカナカナ」の声を聞くと、何故か子供の頃の懐かしい思い出が蘇ってきて。

「季節の移ろい」を感じさせる虫たちは、夜更けにも。

コオロギやキリギリス、クツワムシなどが奏でる「夜の演奏会」。

聞く所によれば、虫の音を「風情があって心地よい」と感じるのは、日本人特有だそうな。

日本人は左脳(言語脳)で「虫の声」を聴き、西洋人は右脳(音楽脳)で「虫の音」を聞くと。

この不思議な違いは、母国語が「母音型」か「子音型」かに拠るらしく。

日本語は「母音中心」の言語だから、「母音近似」の虫の声を、言語脳で処理するとの説。

世界中でこのパターンは、日本語とポリネシア語だけとか。

「虫の音」がノイズでしかない文化と、「虫の声」に聴き入る文化。

芭蕉の名句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は、日本ならでは。

虫や動物の声だけでなく、風や雨や波の音、樹々のそよぎや小川のせせらぎも、「自然の声」として耳を傾ける感性。

なるほど、まさに「山川草木悉皆成仏」。

ウィズコロナで溜まった疲れを、虫の声が優しく癒してくれるかも。

香港のサムライ二人

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猛暑の日中は、極力外出を控えて、運動不足解消のためにナイトウォーキングを。

いつもの代わり映えしない景色に飽きが来たら、名高い「100万ドルの夜景」を思い浮かべながら。

イメージ的には、北海道の函館山や香港のビクトリアピークを散歩しているかの如く。

香港を訪れたのは、かなり前だったけれど、今や、世界中から注目されている人物が二人。

その一人は、人々の「自由と民主」を守るために、命を懸ける黎智英(ジミー・ライ)さん。

彼の強い信念が発する言葉、「最後まで戦う。香港は私の家。私達は何も恐れない」に共感し、連想したのは。

「宇宙戦艦ヤマト」の艦長、沖田十三が古代進に語りかけた言葉。

「お前にはまだ命が残っているじゃないか。人間の命だけが、邪悪な暴力に立ち向かえる最後の武器なのだ」。

「素手でどうやって勝てる?死んでしまって何になる?誰もがそう考えるだろう。わしもそう思う。男はそういう時でも立ち向かっていかねばならない時もある。そうしてこそ初めて、不可能が可能になってくるのだよ」。

「古代。お前はまだ生きている。生きているじゃないか。ヤマトの命を生かすのは、お前の使命なんだ。命ある限り戦え!わかるな、古代」。

これって、まさに「武士道精神」。

もうお一人は、民主化運動の若き戦士、ご存知の周庭(アグネス・チョウ)さん。

釈放後、アニメやJポップから独学で学んだ流暢な日本語で、欅坂46の「不協和音」が頭に浮かんだとの弁。

何となく、ディズニー映画の「ムーラン」に重ね合わせたくなるような。

「来年の今ごろ、生きてられるかどうか」と話す言葉からも、「一身を懸ける覚悟」が伝わってきて。

「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」(葉隠)。

「香港を守るサムライ二人」が、本願成就されるよう願うばかりです。

でんでんむしのかなしみ

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梅雨が長引く今年ですが、庭先からはセミの鳴き声が。

いつの頃からか、滅多に会わなくなった生き物がいろいろと。

例えばオニヤンマやゲンゴロウ、アメンボやカタツムリ等々。

子供の頃にずっと、背中に貝殻を背負った姿を見て、カタツムリはヤドカリの仲間と思い込んで。

調べて見ると、カタツムリの殻は生まれた時から備わっているそうな。

成長に合わせて、殻を住み替えるヤドカリと異なり、自力で住処を建て増していくと。

殻の主成分の炭酸カルシウムは、どこから手に入れるのか、どうやって幾何学的な螺旋模様を描くのか、右巻きと左巻きの違いはどうしてか?
カタツムリには、不思議がいっぱい。

カタツムリで思い出す一冊の絵本が。それは「でんでんむしのかなしみ」(新見南吉)。

ある日、「背中の殻の中に、悲しみが一杯詰まっていること」に気がついた一匹のでんでんむし。

不仕合せを背負った自分は、「もう生きていられない」と悲嘆して、次々と友達に泣きすがってみたけど。

誰に訴えても返ってきた言葉はすべて同じ。「あなたばかりではない。私の背中にも悲しみは一杯」と。

そうなんだ!「悲しみは誰もが持っている。自分は自分の悲しみに堪えて生きていくしかない」と気付いたというお話。

この絵本は、上皇后美智子さまが、「国際児童図書評議会」(ニューデリー)の基調講演で紹介されて。

「生老病死」。確かに人は、生まれてから死ぬまで、大小様々な「悲しみ」と付き合い続けるようで。

だったら、眼を閉じずに「受け止めて」、あるがままを「受け入れて」、ポジティブ思考で「受け超えて」。

「他者の悲しみ」に、優しく自然体で寄り添う美智子さまの生き方は、「でんでんむしのかなしみ」に支えられているのかも。

心和む「桔梗の花」

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梅雨明けを心待ちする時節に、桔梗の花が見頃を迎えて。

日本の「三大ききょう寺」をご存知でしょうか。
静岡県の香勝寺、京都府の谷性寺、兵庫県の遍照寺とか。

桔梗は、好きな花の一つ。

端正な星形の花と凛とした立ち姿が美しく、吸い込まれそうな青紫色に魅せられて。

このブログでも何度か、この花の話題を取り上げたことが。

“桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひさうな”(加賀千代女)。

英名「balloon flower」の通りに、「紙風船」みたいな蕾も可愛らしくて。

膨らんだ蕾を、つい指で突いてみたくなるお茶目心の短歌も。

“魂抜けの できうる花か 指先で つついてみれば 桔梗はひらく”(河野裕子)。

この花の詩歌をもう一つ。

44歳の若さで亡くなられた細川宏さん(東大医学部教授)の詩集「病者・花」に、「ききょう」という詩が。

“ききょうの花がひっそりと静かに咲く
その淡い紫の五弁の花を
病床の僕は黙ってみつめる

長い無言の時が過ぎる

ききょうの花が
愛情のこもった口調でそっとささやく
いたわりと励ましの言葉である
「勇気を出しなさい
へこたれてはだめですよ
さあ元気を出して 元気を出して」

僕はちょっととまどって眉をひそめ
やはり黙ったまま
今度は少し照れて顔をしかめる
静かな安らぎと憩いがその心をみたしている

ききょうの花は相変わらず
ひっそりと静かに咲いている”

桔梗の花言葉は「永遠の愛」。

「生老病死」の儚さを実感することが多くなっている昨今のご時世。

束の間でも、桔梗の花に心を和ませてもらいましょうか。

「モネの睡蓮」にカエルが

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人生シニア世代になると、いわゆる「主要5科目」は、ほとんど不要かも。

漢字や熟語は、スマホやパソコンにお任せで。

お釣りや割り勘の計算ができれば、微分積分など忘れても。

文法を無視しても、知ってる英単語を並べれば、意思は通じて。

理科と社会は、普段の暮らしの常識程度で十分だし。

齢を重ねると、実生活の役に立つ科目は、「技術・家庭」や「美術・音楽」、「倫理・道徳」、「保健・体育」と実感。

最近のベストセラー「13歳からのアート思考」(著者は現役美術教師の末永幸歩さん)に、こんな話が。

小学校の「図工」に較べ、中学校の「美術」になると人気急落とか。

自分が感じたまま作る「図画や工作」の時間は楽しかったけど、「美術」になると上手/下手を採点されたり、絵や画家の名前を暗記させられたりでウンザリ。

大原美術館での印象的なエピソードも紹介されて。

「モネの睡蓮」を見ていた4歳の男の子が発した言葉。それは「カエルがいる」。

そこに居合わせた学芸員が、「えっ!どこにいるの?」と尋ねたら。

その答えは、「いま、水にもぐってる」。

う〜ん。そんな風に見えるのか!

末永さんの弁。男の子は「自分だけのものの見方」をして、「自分なりの答え」を見つけ出している。

「すべての子供はアーティストだ。問題なのは、どうすれば大人になった時にアーティストのままでいられるかだ」(パブロ・ピカソ)。

突然の自然災害や未知の病原菌、激動する複雑な現実社会の中で、誰も「確実な未来」など見通すことができない時代。

創造的に生きるために、「自分だけのカエル」を見つけ出す力が求められているのかも。

末永さんの言う「アート思考」とは、①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、②「自分なりの答え」を見つけ、③それによって「新たな問い」を生み出していく考え方のプロセス。

ちなみに、この本との出会いは、私の木版画にもインパクトをもたらして。

年初来、制作途上にあった「青鷺シリーズ一作目」をお蔵入りさせて、一から新たに作り直すことに。

リニューアル作品を通じて、「自分だけのカエル」が見つかるといいのですが。

空っぽの巣跡

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おや?
お向かいの軒先に巣作りした「ムクドリ親子」の姿が、いつの間にか消えてしまって。

巣立ちまでの数週間、そっと「子育ての観察」を楽しませてもらいました。

雨の日も風の日も、かいがいしく餌を運ぶ親鳥の姿を、我が身と重ね合わせてみたり。

日増しに力強くなる雛鳥たちのさえずりを聞いて、育ち具合を推し量ったり。

時には、カラスから幼子を守るために、けたたましい鳴き声で威嚇のポーズを見せてくれたり。

あの「ムクドリ親子」は、何処に飛んで行ったのやら。

後に残された「空っぽの巣跡」を見ると、ちょっと寂しくも。

世の中には、「空の巣症候群」(Empty nest syndrome)と名付けられた一過性のメンタル症状があるとか。

それまで生きがいだった子供が独立したり、結婚した時に訪れる不思議な「空白感」や「寂寥感」。

一緒に居る間は、やたら手が掛かる面倒な存在と思っていたはずなのに。

漢文学者の白川静さんは子供の頃、「親」という字は、「木の上に立って子を見守っている姿」と教えられたそうな。

その俗説とは異なり、正しくは「立」は「辛」の省略形と。

「辛」は、取っ手がついた針の形を意味し、針を投げて「位牌の神木」を選ぶ古代中国の儀式が由来。

白川学説によれば、「親」という字は、父母の位牌をじっと見つめて拝んでいる姿を表しているとのこと。

今日もどこかで、木の上から辛抱強く我が子の自立を見守るムクドリの父母。

さっさと巣立たれるのも辛く、いつまでも一緒でスネを齧られるのも辛いと思う親心の両面性。

「空っぽの巣跡」の置き土産は、「親とは辛なり」だったのかも。

ローカルマスクを楽しんで

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今朝、姉が送ってくれた手作りの「花柄マスク」が届き、家内は大喜び。

ウィズコロナ時代の必需品となったマスクは、性能の高低もさることながら、「ファッションアイテム」の一つとなったようで。

この新しいトレンドにも、日本各地のローカル色が。

岡山のデニムマスク、新潟の小千谷縮マスク、京都の西陣織マスク、石川の加賀友禅マスク、愛媛の今治タオルマスク等々、お国自慢の伝統工芸品の応用で続々と。

シャープやユニクロのマスプロ商品とは、一味違った魅力があって。

沖縄にも、郷土色豊かなマスクが。

「琉球紅型」の素材や「かりゆしウェア」の生地を用いたり、ハイビスカスやシーサー柄をデザインした「美ら海マスク」。

いいですよね。マスクを通して「南国の空気」を吸っているような気分に。

梅雨が明けた沖縄では、そろそろゴールデンシャワー(マメ科の植物で別名ナンバンサイカチ)が見頃。

夏の訪れを告げる黄金の花は、ほのかな甘い香りを漂わせて。

沖縄の旅には、やっぱり「美ら海マスク」が似合いそう。

マスク収集が趣味化しつつある時代だから、訪れる場所に合わせた「マスクコーデ」が流行るかも。

遊び心やおしゃれ感に溢れたローカルマスクを楽しんで。

「モノと思い出」が重なり合う日本ならではの文化でしょうか。

雨がしとしと日曜日

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梅雨本番の日曜日。

こんな時、僕たちの世代が思い浮かべるフレーズは、”雨がしとしと日曜日”。

60年代ポップスのヒット曲「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)の歌詞です。

主役は勿論、ジュリー(沢田研二)ですが、それもサリー(岸部一徳)という名脇役の存在があってこそ。

彼は古希を迎えて一層、独特のキャラに磨きがかかり、「ドクターX」では、オネイ言葉のオカマ味やお茶目なスキップ姿で。

「相棒」の官房長役では、杉下右京にこんなセリフを。

「正義の定義なんて、立ち位置で変わるもんでしょ。まさか絶対的な正義が、この世にあるなんて思ってる?」

ニヒルで怪しげな悪党だろうが、飄々とした間抜け役だろうが、何でもござれ。

彼の持ち味は、能面の如く「無表情な顔」にあるとの説が。

ご本人は、「正体不明でいたほうがいいので。いろんな人の日常にすっと入っていけますから」との弁。

ギリシア劇に登場する役者用の「仮面=ペルソナ」に繋がるようにも。

ユング心理学では、人は周囲に適応するため「ペルソナ」を着けて生活するが、真の中身には異なった「内的側面」があると。

そう言えば、ラグビー日本代表にも「笑顔なき仮面」を被った男が。

過酷な戦場での喜怒哀楽を抑え込むために、稲垣選手には笑みを消し去った「無表情のペルソナ」が相応しかったようで。

然れば、「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」とは?

宮崎駿監督は、「自分の居場所を求めて彷徨い続けるカオナシ。それは誰の心の中にもいる」と。

実は「カオナシのモデル」は、組織に染まり、自分を見失なってしまった会社員とのこと。

う〜ん、確かに。勤め人だった頃の自分も「カオナシ」だったのかも。

今、「我れのペルソナは?」と自問自答すれば。

家庭の父親、企業経営の助言者、木版画の作家の三つの仮面を、場面に応じて着け変えているのかな?

ペルソナには、人の内面に及ぼす作用があるので、それが「相剋」なのか、「調和」なのかの問題で。

そんなことに思いを巡らせた”雨がしとしと日曜日”でした。