ひとりは泥を見た。ひとりは星を見た。

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オリンピックの余韻が冷めやらぬ間に、早や「立秋」を迎え、暦の上ではもう秋。

自然は正直で、朝の空にはイワシ雲、夕暮れにはツクツクボウシの鳴き声が。

ツクツクボウシ(法師蝉)が夏の終わりを告げ、もうじきヒグラシ(蜩)が「カナカナ」と鳴き始めると秋の訪れ。

数年も地中に暮らし、子孫を残すために数週間だけ姿を現して、また土に還る「蝉の一生」を思うと。

「もののあはれ」がひとしお、心に沁みる季節の移ろい。

「人の世の 悲し悲しと 蜩が」(高浜虚子)。

虚子先生の心には、ヒグラシの鳴き声が、そのように聞こえたのかも。

あるアイルランドの詩人(フレデリック・ラングブリッジ)は、こんな言葉を。

「ふたりの囚人が鉄格子から外を眺めた。ひとりは泥を見た。ひとりは星を見た」。

あらゆる物事が、「光と影」の両面から成り立っている世の中。

同じ状況下にあっても、俯いて「足元の泥」を見るのか、上を向いて「夜空の星」を見るのか、その人次第で、全く景色が異なって。

ポジティブに生きれば、「✖️(バツ)」も「➕(プラス)」に見えてくるから。

虚子先生には申し訳ないけど、星を見上げて生きる自分にとっては。

「我が祈り 叶う叶うと 蜩が」の方が、しっくりと響くようで。