でんでんむしのかなしみ

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梅雨が長引く今年ですが、庭先からはセミの鳴き声が。

いつの頃からか、滅多に会わなくなった生き物がいろいろと。

例えばオニヤンマやゲンゴロウ、アメンボやカタツムリ等々。

子供の頃にずっと、背中に貝殻を背負った姿を見て、カタツムリはヤドカリの仲間と思い込んで。

調べて見ると、カタツムリの殻は生まれた時から備わっているそうな。

成長に合わせて、殻を住み替えるヤドカリと異なり、自力で住処を建て増していくと。

殻の主成分の炭酸カルシウムは、どこから手に入れるのか、どうやって幾何学的な螺旋模様を描くのか、右巻きと左巻きの違いはどうしてか?
カタツムリには、不思議がいっぱい。

カタツムリで思い出す一冊の絵本が。それは「でんでんむしのかなしみ」(新見南吉)。

ある日、「背中の殻の中に、悲しみが一杯詰まっていること」に気がついた一匹のでんでんむし。

不仕合せを背負った自分は、「もう生きていられない」と悲嘆して、次々と友達に泣きすがってみたけど。

誰に訴えても返ってきた言葉はすべて同じ。「あなたばかりではない。私の背中にも悲しみは一杯」と。

そうなんだ!「悲しみは誰もが持っている。自分は自分の悲しみに堪えて生きていくしかない」と気付いたというお話。

この絵本は、上皇后美智子さまが、「国際児童図書評議会」(ニューデリー)の基調講演で紹介されて。

「生老病死」。確かに人は、生まれてから死ぬまで、大小様々な「悲しみ」と付き合い続けるようで。

だったら、眼を閉じずに「受け止めて」、あるがままを「受け入れて」、ポジティブ思考で「受け超えて」。

「他者の悲しみ」に、優しく自然体で寄り添う美智子さまの生き方は、「でんでんむしのかなしみ」に支えられているのかも。

心和む「桔梗の花」

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梅雨明けを心待ちする時節に、桔梗の花が見頃を迎えて。

日本の「三大ききょう寺」をご存知でしょうか。
静岡県の香勝寺、京都府の谷性寺、兵庫県の遍照寺とか。

桔梗は、好きな花の一つ。

端正な星形の花と凛とした立ち姿が美しく、吸い込まれそうな青紫色に魅せられて。

このブログでも何度か、この花の話題を取り上げたことが。

“桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひさうな”(加賀千代女)。

英名「balloon flower」の通りに、「紙風船」みたいな蕾も可愛らしくて。

膨らんだ蕾を、つい指で突いてみたくなるお茶目心の短歌も。

“魂抜けの できうる花か 指先で つついてみれば 桔梗はひらく”(河野裕子)。

この花の詩歌をもう一つ。

44歳の若さで亡くなられた細川宏さん(東大医学部教授)の詩集「病者・花」に、「ききょう」という詩が。

“ききょうの花がひっそりと静かに咲く
その淡い紫の五弁の花を
病床の僕は黙ってみつめる

長い無言の時が過ぎる

ききょうの花が
愛情のこもった口調でそっとささやく
いたわりと励ましの言葉である
「勇気を出しなさい
へこたれてはだめですよ
さあ元気を出して 元気を出して」

僕はちょっととまどって眉をひそめ
やはり黙ったまま
今度は少し照れて顔をしかめる
静かな安らぎと憩いがその心をみたしている

ききょうの花は相変わらず
ひっそりと静かに咲いている”

桔梗の花言葉は「永遠の愛」。

「生老病死」の儚さを実感することが多くなっている昨今のご時世。

束の間でも、桔梗の花に心を和ませてもらいましょうか。

「モネの睡蓮」にカエルが

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人生シニア世代になると、いわゆる「主要5科目」は、ほとんど不要かも。

漢字や熟語は、スマホやパソコンにお任せで。

お釣りや割り勘の計算ができれば、微分積分など忘れても。

文法を無視しても、知ってる英単語を並べれば、意思は通じて。

理科と社会は、普段の暮らしの常識程度で十分だし。

齢を重ねると、実生活の役に立つ科目は、「技術・家庭」や「美術・音楽」、「倫理・道徳」、「保健・体育」と実感。

最近のベストセラー「13歳からのアート思考」(著者は現役美術教師の末永幸歩さん)に、こんな話が。

小学校の「図工」に較べ、中学校の「美術」になると人気急落とか。

自分が感じたまま作る「図画や工作」の時間は楽しかったけど、「美術」になると上手/下手を採点されたり、絵や画家の名前を暗記させられたりでウンザリ。

大原美術館での印象的なエピソードも紹介されて。

「モネの睡蓮」を見ていた4歳の男の子が発した言葉。それは「カエルがいる」。

そこに居合わせた学芸員が、「えっ!どこにいるの?」と尋ねたら。

その答えは、「いま、水にもぐってる」。

う〜ん。そんな風に見えるのか!

末永さんの弁。男の子は「自分だけのものの見方」をして、「自分なりの答え」を見つけ出している。

「すべての子供はアーティストだ。問題なのは、どうすれば大人になった時にアーティストのままでいられるかだ」(パブロ・ピカソ)。

突然の自然災害や未知の病原菌、激動する複雑な現実社会の中で、誰も「確実な未来」など見通すことができない時代。

創造的に生きるために、「自分だけのカエル」を見つけ出す力が求められているのかも。

末永さんの言う「アート思考」とは、①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、②「自分なりの答え」を見つけ、③それによって「新たな問い」を生み出していく考え方のプロセス。

ちなみに、この本との出会いは、私の木版画にもインパクトをもたらして。

年初来、制作途上にあった「青鷺シリーズ一作目」をお蔵入りさせて、一から新たに作り直すことに。

リニューアル作品を通じて、「自分だけのカエル」が見つかるといいのですが。

空っぽの巣跡

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おや?
お向かいの軒先に巣作りした「ムクドリ親子」の姿が、いつの間にか消えてしまって。

巣立ちまでの数週間、そっと「子育ての観察」を楽しませてもらいました。

雨の日も風の日も、かいがいしく餌を運ぶ親鳥の姿を、我が身と重ね合わせてみたり。

日増しに力強くなる雛鳥たちのさえずりを聞いて、育ち具合を推し量ったり。

時には、カラスから幼子を守るために、けたたましい鳴き声で威嚇のポーズを見せてくれたり。

あの「ムクドリ親子」は、何処に飛んで行ったのやら。

後に残された「空っぽの巣跡」を見ると、ちょっと寂しくも。

世の中には、「空の巣症候群」(Empty nest syndrome)と名付けられた一過性のメンタル症状があるとか。

それまで生きがいだった子供が独立したり、結婚した時に訪れる不思議な「空白感」や「寂寥感」。

一緒に居る間は、やたら手が掛かる面倒な存在と思っていたはずなのに。

漢文学者の白川静さんは子供の頃、「親」という字は、「木の上に立って子を見守っている姿」と教えられたそうな。

その俗説とは異なり、正しくは「立」は「辛」の省略形と。

「辛」は、取っ手がついた針の形を意味し、針を投げて「位牌の神木」を選ぶ古代中国の儀式が由来。

白川学説によれば、「親」という字は、父母の位牌をじっと見つめて拝んでいる姿を表しているとのこと。

今日もどこかで、木の上から辛抱強く我が子の自立を見守るムクドリの父母。

さっさと巣立たれるのも辛く、いつまでも一緒でスネを齧られるのも辛いと思う親心の両面性。

「空っぽの巣跡」の置き土産は、「親とは辛なり」だったのかも。