「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」。
あのゴーギャンが、タヒチで描いた「絵のタイトル」です。
「過去と現在と未来」が並列ですが、一番の大事は、「どこへ行くのか」。
会社の中には、「決算好き」と「予算好き」の2種類が。
とにかく「これまでの業績」にこだわる人と、それはさておき「これからの構想」に思いを馳せる人。
終わったことに、何故それほど執着するのか、尋ねてみると。
過去の積み重ねが、「いま現在」を決めるのだから、しっかり振り返り、反省すべしと。
う〜ん。確かにその通りだけど、「既に終わって、もう変えようがないこと」を、考えても仕方ないのでは?
数年で殆どの細胞が入れ替わり、「肉体」は、新しく生まれ変わっても、「意識」だけが、過去を引きずる「不可解な生き物」。
「いま現在」に影響を及ぼす因果は、前後二方向にあるかも。
よく言われる「過去の積み重ね」だと、鋳型に嵌められた窮屈感が。
自ら描く「未来の登り口」と発想転換すれば、自縄自縛から解き放たれるのでは。
未来は、神様以外は誰にも分からない。
だから、未来の「ありたい姿」を思い描くことは、全く自由でしょう。
その姿に、少しでも「近づく」ために、徐々にでも「手繰り寄せる」ために、「いま現在」があると。
そう思うと、人は頑張れる。
「どこへ行くのか」を見つけられなかったゴーギャンは、悲しいことに自殺(未遂)の道を。
年末恒例の「今年の十大ニュース」は、既に終わったことの順位づけ。
それよりも、「来年の十大ニュース」をイメージした方が、よほど生産的。
いつも聞かされる、家内のお小言。
「過去から目を逸らし、反省しない人間は、成長しないわよ」。
ハイハイと頷きながら、「未来に向かって、必ず成し遂げたいとの思いがあれば、成長できる」と、心の中でつぶやいたり。