「諸行無常」の暮らしあり

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朝晩寒くなると、普段はオンザロックで飲む芋焼酎もお湯割りに。
おでんや鍋物が恋しい季節の到来です。

最近とみに感じるのは、「季節の移り変わり」の速さ。
そんなに急がなくてもいいのに、慌しく次のシーズンが。
季節に限らず、世の中全体で「余韻を味わう間」が、短くなっているような。

古来より、日本には「間の文化」がありました。
能や雅楽の伝統芸能から、剣道や柔術、歌舞伎や落語の世界まで、名人とは「間の取り方」がうまい人。

和風建築や日本庭園もしかり。
絵画や書の世界でも、「余白の美しさ」が決め手です。
この摩訶不思議な「間の感性」とは一体、何なのでしょうか。

例えば、龍安寺の石庭。
広い白砂の「空間」に、15個の石を配しただけで、ほとんどが「余白」。
それなのに、あの言葉にならない美しさはどこから?

茶道具の他には、一幅の掛け軸と花一輪を飾る茶室の「しつらえ」。
意味ある構図として、「真っ白な空間」を残す水墨画の世界。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」。
ご存知の「平家物語」です。
鐘の音が消えた後にも、残る響き。
「音と音」、そして「言葉と言葉」の間に生まれる「空白の時間」にも、心の波動は続きます。

「空間」にも「時間」にも「人間」にも、「間」の文字が。
ということは、人間においても「余白の美しさ」や「余韻の味わい」が大切ということか。

されど、ままならぬ現実が。
部屋は荷物で埋め尽くされ、よろず雑用で時間に追われる日々。
飲み過ぎの前後不覚で、記憶が飛んだ「空白の時間」があるのみかも。

嗚呼!「諸行無常」の暮らしあり。