秋の花「コスモス」の続きを書きたくて。
河野裕子さんが詠んだ心に響く短歌から。
これからの 日々をなつかしく 生きゆかむ 昨年(こぞ)せしように コスモスを蒔く
う〜ん。凄いとしか言いようがない。
癌の宣告を受け、死期が迫るのを知りながら、かくの如き心境になれるとは……。
我が身に置き換えて、深く考えさせられます。
以前、河野さんの「辞世の歌」を紹介しましたが、ずっと引っかかっている言葉が。
手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が
僅か31文字の中の3文字。
「この世」という言葉を、何故に使われたのでしょうか?
おそらく心の奥底に、「あの世」を信じたいとの願いがあったのかもしれません。
京都大原の寂光院を訪ねた折、河野さんはこう話されました。
「わたしたちが古刹を訪ね、仏さまをみれば手を合わせて拝むのはなぜだろう。何百年ものあいだ数限りない人々が、逃れようのないこの世の悲しみと苦しみを負いながら最後にしたことは祈るということだったのではないか。誰にもすがる事ができず、為すすべがなく、それでも生きていかなければならなくなった時、人には祈ることしか残っていない」。
祈りは、「この世」と「あの世」をつなぐ架け橋。
自然の優しさと過酷さ、神仏の慈愛と冷酷さ。
その両面が「調和(コスモス)」し、光に包まれる瞬間は、「祈る時」に訪れるのかもしれません。
河野さんが、寂光院で詠んだ歌。
みほとけよ 祈らせ給え あまりにも
短かきこの世を 過ぎゆくわれに