わたしを束ねないで

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前回ブログの「理系か文系か」だけでなく、人は何故、人を分けたがるのでしょうか。
国籍や宗教、学歴や出身地、既婚か単身か、はたまた世代や血液型の違いまで。

人には、分けて括って「レッテルを貼りたがる習性」が。
柵を作って、この人はあっち側、あの人はこっち側と仕分けると、妙に「安心」します。
雑多に散らかったものを、それぞれの引き出しに片づけた後の「スッキリ感」のように。

この不可解な習性に抗って、新川和江さんはこんな詩を。

「わたしを束ねないで」

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

人は本来、複雑で多面的な存在。
だから、ある鋳型に嵌めて一括りにはされたくはない。
新川さんの詩は、こう続きます。

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

ヒトは、この地球に生きる「無数の生物種」の一つ。
ヒトを細分化し過ぎたことへの「しっぺ返し」が、あらゆる紛争に。

世界は一つ。人類みな兄弟。
沖縄弁の「イチャリバチョーデー」を合言葉に!