「有明の月」を眺めて

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昨日の朝は、爽やかな秋晴れ。
西の空に「月齢20のお月様」が、ポッカリと浮かんでいました。

風流な昔の方なら、「有明の月」を眺めて和歌を詠むのでしょうが……。
頭に浮かんだのは、空腹のせいか、半月形のどら焼き?
あまりにも不粋なので、ほかを。
おお!空中に蹴り上げたラグビーボールか?

道端で月を眺めていると、通りがかりの人も「何かしら?」と立ち止まって視線を空に。
妙に気が引けて、「朝のお月見ですよ」とエクスキューズ。

それにしても日本人は、月が好き。
月を詠んだ和歌は、数多くあります。
その中から一首。
「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど」(大江千里)

確かに「夜の月」は、物悲しさを醸し出すようですが、「朝の月」は雰囲氣一変。
「千々に物こそ 楽しけれ」と、勝手に改変させてもらいましょう。

版木も18版が出来上がり(写真は9枚ですが、裏表彫りなので)。
明日から神無月の11月。
摺りの作業に入って、年内完成を目指します。

一番大切なことは目に見えない

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「道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思わむ」
(万葉集 詠み人知らず)

風に揺れるススキの野原を歩きながら、「見つからない答」を探してみるのも、秋ならでは楽しみです。

目下の関心事は、「創作活動」。
「自然と生き物」を描く木版画ですが、主題は「その繋がり」。
自然界の「全体調和」の中で、空や海や山も、樹木や草花も、虫や鳥や魚も生かされています。

そう思い始めると、迷い道に。
「目に見えないもの」を「目に見える作品」にしようとする試みか?
「作り手の想い」(世界観)を、カタチとイロで表現するなんて、到底無理でしょう。

写真家の方々なら、分かってもらえるかも。
美しい風景を切り取った写真。
同じ被写体であれば、誰が撮っても一緒でしょうか。
きっと違うはず。
撮影者それぞれに、「写真に込めた想い」があるから。

「星の王子さま」のフレーズに、「一番大切なことは、目に見えない」。

言葉も同じでしょう。
「心に生じた想い」を、言葉で表現することは、至難の技。
例えば、深い感動。
言葉にすればするほど、「言葉の限界」に。
おそらくブログを書かれる方々は、その「歯痒さ」を感じておられるのでは。

世の中はほとんどが、「目にも見えず」、「言葉にもできない」ことで、成り立っています。

金子みすゞさんの「星とタンポポ」に。
「見えぬけれどあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」。

「ある」のだから探し続ける。
それが生きるということでしょうか。

「異形の神々」が世界へ

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最近、ちょっといいニュースが。
全国8県10地域の「来訪神」が、ユネスコの無形文化遺産になるとのこと。

そもそも「来訪神」って何?
その代表例は「男鹿のなまはげ」と聞けば、イメージが湧いてきます。

民俗学者の折口信夫さんが、「マレビト(稀人)」と名付けた「来訪神」。
年に一度、常世の国からやって来る「異形の神様」たちです。

作物の豊穣や人々の幸せをもたらしてくれますが、時には怠け者を戒めたりも。
なまはげは大晦日の晩、恐ろしい形相で家々を訪ねて、
「ここの家の嫁は早起きするがー」。
「親の言うこど聞がね子はいねがー」。

います!います!
勉強はしない、手伝いもしない、部屋は散らかし、忘れ物ばかり。
「もっと言ってよ!」と頼みたくなりそう。

なまはげの他にも「能登のアマメハギ」や「甑島のトシドン」など。
以前、このブログで紹介した西表島のミルク神(実は弥勒菩薩)は外れましたが、沖縄代表は「宮古島のパーントゥ」。
琉球の常世の国は、海の彼方の「ニライカナイ」。

全身泥まみれの「パーントゥ」には、本当にビックリ。
この厄祓いの神は、誰かれ構わず追いかけて泥をなすりつけます。
ご利益があるとしても、思わず逃げたくなりそう。

もうすぐハロウィンのお祭り。
元来は、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的行事でした。

日本には、八百万の神がいます。
個性豊かな神様たちが、至る所に。
「みんなちがって、みんないい」。
地元自慢のローカル色を、これからも守り続けて欲しいですね。

「色と遊ぶ」至福のひと時

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昨夜は「雲の合間」から、月齢17の丸いお月様が。
「間」の本来の漢字は「閒」。
門の隙間から、「月の光」が射し込む情景です。

月の優しく柔らかな光は、無意味な対立や矛盾を溶かし去るようなイメージが。
月は心の鏡。
ひときわ美しい月を眺めて、物思いにふける秋を楽しみましょう。

「Halcyon in Moonlight」のカワセミとストレリチア(極楽鳥花)は、ほぼ出来上がり。
数日前から、背景の「満月の夜空」にチャレンジです。

何枚かの版木が彫り終わると、必ず「試し摺り」。
ズレの確認(「見当」の位置を微修正)と「色の組み合わせ」の試行錯誤。

満月は、以前オレンジで制作しましたが、今度はどうしようか?
ピンク、パープル、ブルー、作り手の気分で自由に選択可。
そこが版画の面白い所かも。

木版さえできれば、あとから何色でも乗せられます。
時には、原画と違う色を選ぶことも。
今回は、カワセミの色調に合わせて、ブルームーンに決めました。

先ず、スカイブルーの下地に、セルリアンブルーを重ねると。

う〜ん。青々し過ぎて、今ひとつ。
そこで下地をヘリオトロープに変えて見ると。

おや、深みが出てきた。
よし!本摺りはこれで行くぞ。
だけど、月暈はまだ工夫が足りない。
光の輪をどうやって摺ろうか?

色と遊ぶ至福のひと時。
制作中は、時間を忘れて、こんな独り言が続きます。

「諸行無常」の暮らしあり

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朝晩寒くなると、普段はオンザロックで飲む芋焼酎もお湯割りに。
おでんや鍋物が恋しい季節の到来です。

最近とみに感じるのは、「季節の移り変わり」の速さ。
そんなに急がなくてもいいのに、慌しく次のシーズンが。
季節に限らず、世の中全体で「余韻を味わう間」が、短くなっているような。

古来より、日本には「間の文化」がありました。
能や雅楽の伝統芸能から、剣道や柔術、歌舞伎や落語の世界まで、名人とは「間の取り方」がうまい人。

和風建築や日本庭園もしかり。
絵画や書の世界でも、「余白の美しさ」が決め手です。
この摩訶不思議な「間の感性」とは一体、何なのでしょうか。

例えば、龍安寺の石庭。
広い白砂の「空間」に、15個の石を配しただけで、ほとんどが「余白」。
それなのに、あの言葉にならない美しさはどこから?

茶道具の他には、一幅の掛け軸と花一輪を飾る茶室の「しつらえ」。
意味ある構図として、「真っ白な空間」を残す水墨画の世界。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」。
ご存知の「平家物語」です。
鐘の音が消えた後にも、残る響き。
「音と音」、そして「言葉と言葉」の間に生まれる「空白の時間」にも、心の波動は続きます。

「空間」にも「時間」にも「人間」にも、「間」の文字が。
ということは、人間においても「余白の美しさ」や「余韻の味わい」が大切ということか。

されど、ままならぬ現実が。
部屋は荷物で埋め尽くされ、よろず雑用で時間に追われる日々。
飲み過ぎの前後不覚で、記憶が飛んだ「空白の時間」があるのみかも。

嗚呼!「諸行無常」の暮らしあり。

花に想いを託す

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「秋の花」のエンディングは、桔梗と曼珠沙華。
この所、重めの話が続きましたので、あえて軽いトーンで。

桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひさうな

加賀千代女の素直で優しい人柄が伝わってきます。
つるべに巻き付いた朝顔を、”Let it be”として、もらい水に行くようなお方ですから。

桔梗の英名は「balloon flower」。
確かに、蕾は「紙風船」みたい。
開花する時、本当にポンと音がするのかどうか?
実際に確かめたくなりますよね。

膨らんだ蕾を指で突いてみたら?叩いてみたら?
そんなイタズラ心に誘われてか、河野裕子さんが詠んだ歌。

魂抜けの できうる花か 指先で つついてみれば 桔梗はひらく

意外に「エヘッ」と舌を出してそうな、お茶目で無邪気な一面が感じられ、ほのぼの気分になります。

それにしても、
紙風船が割れると「五芒星」の姿に。
自然のチカラは凄い!

次は夏目漱石の句です。

曼珠沙華 あっけらかんと 道の端

あの妖しくて不気味な花を、こんな風に切り取るとは……。
「あっけらかん」という軽妙な表現は、漱石らしい「突き抜けた感性」があればこそ。

花に想いを託す。
古き時代から受け継がれてきた日本の文化です。
万葉集で植物を詠んだ歌は、3分の1の1500首もあるそうな。

心を揺さぶる「様々な想い」。
いつもいつでも、優しく受け入れてくれる「花さんたち」に感謝!

みほとけよ 祈らせ給え

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秋の花「コスモス」の続きを書きたくて。
河野裕子さんが詠んだ心に響く短歌から。

これからの 日々をなつかしく 生きゆかむ 昨年(こぞ)せしように コスモスを蒔く

う〜ん。凄いとしか言いようがない。
癌の宣告を受け、死期が迫るのを知りながら、かくの如き心境になれるとは……。
我が身に置き換えて、深く考えさせられます。

以前、河野さんの「辞世の歌」を紹介しましたが、ずっと引っかかっている言葉が。

手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が

僅か31文字の中の3文字。
「この世」という言葉を、何故に使われたのでしょうか?
おそらく心の奥底に、「あの世」を信じたいとの願いがあったのかもしれません。

京都大原の寂光院を訪ねた折、河野さんはこう話されました。

「わたしたちが古刹を訪ね、仏さまをみれば手を合わせて拝むのはなぜだろう。何百年ものあいだ数限りない人々が、逃れようのないこの世の悲しみと苦しみを負いながら最後にしたことは祈るということだったのではないか。誰にもすがる事ができず、為すすべがなく、それでも生きていかなければならなくなった時、人には祈ることしか残っていない」。

祈りは、「この世」と「あの世」をつなぐ架け橋。
自然の優しさと過酷さ、神仏の慈愛と冷酷さ。
その両面が「調和(コスモス)」し、光に包まれる瞬間は、「祈る時」に訪れるのかもしれません。

河野さんが、寂光院で詠んだ歌。

みほとけよ 祈らせ給え あまりにも
短かきこの世を 過ぎゆくわれに

曼珠沙華の妖しい魅力

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「秋の花」のトリは、妖艶な美しさに心惹かれる曼珠沙華。
彼岸花は、知れば知るほど不思議な花です。

仏教の由来では、「天界に咲く花」として慶事のしるし。
俗世では、気の毒にも「死人花」とか「幽霊花」とかの言われよう。

もっぱら墓地や畦道に植生する理由は単純明快。
アルカロイドを含む有毒植物なので、モグラやノネズミ対策に効果的です。
その一方で、毒を取り除けば良質なタンパク源にもなり、飢饉に備えた非常食との説も。

変わった特性をもう一つ。
植物は普通、芽が出て茎が伸び、葉がつき花が咲く順番。
彼岸花は茎だけで咲き、葉がありません。
花が散った後に球根から葉っぱが。

曼珠沙華の「妖しい魅力」は、正邪とか善悪とか美醜の分別を超えた所にあるのかも。

自然には、恵みをもたらす「優しさ」と猛威を振るう「過酷さ」が。
神には、救いの手を差し伸べる「慈愛」と無情に突き放す「冷酷さ」が。
その「両面とも真実」。
だから人生は面白いのでしょうか。

青紫の「五芒星」

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可憐なコスモスの花に続き、今回は、凛とした桔梗の花。
色と形と立ち姿、どこから見ても美しい。

あの「神秘的な青紫」に魅せられて、制作した「Owl in Violet」。
紫系の色調の難しさを痛感させられました。

花の形は、見事な「五芒星」。
古代西洋では魔術の記号、日本では「魔除けの呪符」。
平安時代の陰陽師、あの安倍晴明の晴明桔梗紋として知られています。

桔梗紋への信仰は、意外な所でも。
伊勢志摩の海女さんが、漁の安全を祈り頭巾に書き込む呪符。
「五芒星」のセーマンは、無事に戻ってこれますように。
「格子印」のドーマンは、海の魔物を見張るためとの言い伝え。

そう言えば、日本各地には「桔梗の寺」と呼ばれている寺院が。
京都の天徳院と廬山寺、静岡の香勝寺、兵庫の遍照寺等々。
遍照寺のご本尊は「桔梗観音」。
桔梗の花と観音さま。是非、行ってみたい所ですね。

「秋の桜」は南下する

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「秋の花」は、何がお好きでしょうか。
それぞれの好みがありますが、私のベスト3は、コスモス、桔梗、そして曼珠沙華。

この季節、コスモス畑を歩くと何故か幸せな気分になります。
コスモスの名付け親は、スペインのホセ・カバニレス神父。
よくぞ「宇宙」を意味する名前を。

この素敵なネーミングは、群生している景色からも、花一輪の雄蕊・雌蕊の姿からも。
夜空にまたたく星々のイメージに重なります。

全長3300kmの細長い日本列島。
「春の桜」前線は北上しますが、「秋の桜」前線は南下。
北海道では8月下旬から、沖縄金武町のコスモス祭りは2月まで。

気温と日照時間に応じて毎年、花開く時が来たれば咲く。
自然のリズムに従って生きる「植物のいのち」。
そう言えば、コスモスはギリシャ語由来で「秩序」と「調和」でした。
コスモス畑は、自然と調和する感覚を呼び覚ましてくれるのかも。