「偶然」を装った「必然」

http://www.biodesign-japan.com/wp-content/uploads/sites/1887/2018/03/header20180311080027_185509238.jpghttp://www.biodesign-japan.com/wp-content/uploads/sites/1887/2018/03/header20180311080027_852583160.jpg
私の知り合いに、「運天さん」という方がおられます。
沖縄出身のご主人の苗字ですが、おそらく生家は「今帰仁村運天」でしょう。
ここには、1万トン級の船舶が利用できる重要港湾「運天港」があります。

「運天」という珍しい地名には、古い謂れが。
鎮西八郎と言われた平安時代の武将「源為朝」の伝説です。
流罪の地「伊豆大島」から逃れる途中、暴風雨で漂流し、「運を天に任せて」辿り着いたとの由来。
真偽のほどは分かりませんが、琉球正史では、最初の王「舜天」は源為朝の子であるとされ、「日琉同祖論」の根拠に。

「運を天に任せて」というご経験は、おありでしょうか。
私は何度も……。
その心境は「人事を尽くせば」、結果は「天」が決めること。

「Chance favors the prepared mind」という好きな言葉があります。(フランスの細菌学者ルイ・パスツール)。
「幸運の女神は、準備された心に降り立つ」。
ただ待っているだけでは来ない「幸運」。
できれば、「幸運を手繰り寄せる」ような生き方をしたいものです。

それにしても人生は、かなりの部分が「運」に左右されています。
「運」に恵まれるか、恵まれないかは、何によって別れるのでしょうか。

「天」は、「万人に平等」です。
すべての人間は、それぞれに「生きる意味」を持って生まれ、「天の心」からは皆が「等価な存在」。
能力の差、貧富の差、容姿の差は、人間同士が気にする尺度で、「天の眼」に映るは優劣なき「多様ないのち」。

そうであれば、「運」を手繰り寄せるのか、「運」から遠ざかるのかは、「己の選択次第」。
ずっと会いたいと思っていた人に会える。
こうなって欲しいと願っていたことがそうなる。
追い詰められた時に手を差し伸べてくれる人が現れる。
誰にでもそんな経験があるでしょう。

「偶然」のように見えてもそうではありません。
「幸運」は「能動的な営み」がもたらします。
自分の心の中で、「かくありたい」と願うこと。それがすべての始まりです。

勿論、人生は「山も谷も」あり、思い通りには行きません。
ただ、「願ったこと以上」のことは、決して起こり得ないから、例えダメ元でも「願えば」いい。
「願うだけ」で足りないなら「祈れば」いい。
「祈り」は、「天」と「現実」の架け橋です。

「幸運の女神」が微笑む、それは「偶然」を装った「必然」の時なのです。