最も興味深かった競技

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平昌オリンピックで最も興味を惹かれた競技は、パシュート。
女子チームは、体格もパワーも圧倒的に優れたオランダチームに快勝。
結弦君、奈緒さんに続く、3つ目の金メダルです。

氷上の三人が、「一心同体」となって一糸乱れず滑る姿。
年に300日も一緒に過ごし、チームワークを育んできた仲間だから、できることなのでしょう。
韓国チームの不協和音とは、好対照に美しく輝いていました。

彼女たちの「強さの秘密」については、こう解説されています。
パシュートは「空気抵抗」との戦い。
安定した低重心と滑り方のリズム、隊列の組み方と先頭の交代方法等に、独自の科学的アプローチ。
その結果、最も消耗ロスが少ない最適な方法を習得したと。

その通りだと思います。
でも「物理的な視点」に加えて、もうひとつ「別の要素」もあるようです。
「1+1+1」が3より大きくなる「創発現象」。
全体は、「部分の総和」を上回ることがあります。

「人間の世界」は、単なる「物の組み合わせ」や「数の計算」では測り切れない「複雑系システム」で動いています。
生命現象や経済理論、組織論や情報工学等で応用が期待されている理論です。

美帆さん、菜那さん、綾乃さん、彩花さんの四人チーム。
完全に目的共有する彼女たちには、「個の現有能力」をより高みに導く「相互刺激」と「相乗作用」が働いたようです。
「1+1+1」を、4にも5にもしてくれた仲間たち。
「この優勝はチーム全員の力なしでは、成し遂げることができなかった」。
美帆さんが伝えたかった気持が、よく分かります。

平昌で見た「美しさ」と「醜さ」

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平昌は今日が閉会式。
オリンピックは「スポーツの祭典」。
同時に、社会の縮図とも言える「人間ドラマ」の舞台でもあるようです。
平昌で見せてもらった人間の「美しさ」と「醜さ」。
「善悪の問題」を超えて、その両方が「生身の人間そのもの」を示しているのかもしれません。

金メダリスト小平奈緒さんの「振る舞い」に、世界中から賞賛の声が寄せられています。
涙する李相花さんに寄り添う姿は、「弱者の痛み」が分かる人間の美しさ。
「しっ!」とお願いする仕草は、自己の歓喜を抑えて、「他者への思いやり」を優先する人間の美しさ。

あの極限の状態において、いとも自然に振る舞った奈緒さんは、インタビューでこんな言葉を。
「金メダルは名誉なことですが、(それ以上に)どういう人生を生きていくかが大事です」。
同じ日本人として、誇りに思います。

一方、韓国の女子パシュートチームが問題視されています。
疲労で遅れ始めたメンバーを無視して、前二人だけでゴールに飛び込ぶ光景。
思わず、冬山で「遭難した仲間」を、自分だけ助かるために置き去りにする行為を連想しました。

「チームワークが命」の競技で、気持が離れて全く助け合おうとしないメンバーの姿に、悲しくなるほどの「醜さ」を見ました。
以前のブログに書いたこと。
人は皆、「仏性と鬼性」を併せ持ち、「煩悩の満ち引き」を繰り返す存在。
「人間の性」は51/49程度の違いかもしれません。
願わくば、例え1%でも、「仏性」が勝る生き方をしたいものです。

西表島の「ミルク神」

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厳しい寒さの緩和にと、「美ら海沖縄」の話題を続けます。

日本人は総じて「祭り好き」ですが、沖縄ではいつもどこかで、「お祭り」があるように思えます。
それだけ、神様が「身近な存在」だからでしょう。

以前、夏休みの家族旅行で、西表島を訪れた時のことです。
できるだけ「西表らしさ」が残っている所を探し、西海岸の干立地区に宿泊しました。
そうとは知らず偶々でしたが、丁度その日は「豊年祭」。

夕方に祭りが始まり、集落のメインロードを「祝いの行列」が進みます。
その先頭には、奇妙な仮面を被った黄色い装束の方が。
地元の方に尋ねたところ、「ミルク神」と。
えっ、ミルク???
酪農はないはずなのに、ミルクとは‥‥。

調べて見ると、実は「弥勒神」。
そう言えば、琉球語の母音はa.i.uの3音だけと聞いたことがあります。
ミロクの「ro」の音が「ru」に変わったと考えて納得です。

沖縄の弥勒神は、「布袋様」を化身とする中国南部の弥勒信仰がルーツとのこと。
神々が住むニライカナイから、「五穀の種」を積んだ「ミルク神の船」がやって来て、この地に豊穣をもたらす。
見事なまでの「神仏習合」です。

祭りのメインイベントは、「沖縄の国技」とも言える「大綱引き」。
よそ者の旅行者でも参加できるのかと思いきや、ウエルカム。
偶然の巡り合わせで、珍しい「ローカルイベント」に出会えることも、旅の楽しみの一つです。

よい人と歩けば「祭り」

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今年の北陸地方は、記録的な大雪。
年に1〜2回降っただけで、大騒ぎする首都圏の住人には、耐えがたい厳しい毎日でしょう。
試練に耐える「辛抱強さ」や、「諦観」に支えられた「生きる力」は、雪国で暮らす人々ならではかもしれません。

豪雪地帯の新潟県に生まれ育った「小林ハルさん」をご存知でしょうか。
105歳で亡くなられましたが、「最後の瞽女」として「人間国宝」とも呼ばれた方です。
生後まもなく視力を失い、生きていくために「瞽女の師匠」に5歳で弟子入り。

その時から一生涯、三味線を抱えて北陸・東北を巡業する旅が続きました。
8歳で初めて旅に出る日、母親が伝えた言葉。
「辛い時はじっと我慢して、神さま、仏さまのお力を待つのだ」。
瞽女という職業ゆえ、視覚障害を持つがゆえに、私達には「想像もできないほどの苦しさ、辛さ」を味わったことでしょう。

脳裏から離れることのない「ハルさんの言葉」。
「よい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」。
本当にその通りだと思います。
いい人に出会えた時の「心の華やぎ」、相性が合わぬ人から学ぶ「反面教師の教え」。

幸いにも我が人生、「祭りの喜び」を感じることは多く、「修行の機会」は足りないのかもしれません。
「今度生まれ変わることがあったら、虫でもいいから明るい目を持って生まれたい」。
心に沁みるハルさんの思いです。
五体満足で生きていることに、あらためて感謝します。

日本酒と作品品評会

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一昨日は「日本酒大好き」な方々、総勢12名との新年会。
参加メンバーの「秘蔵のお酒」を持ち寄って、ワイワイガヤガヤ楽しもうという主旨です。
神田にある馴染みの店に無理をお願いして、「お酒の持ち込み」を了承。

日本酒の魅力は、ローカル色豊かな「各蔵元の個性、多様性」を楽しめること。
兵庫県丹波市の山名酒造の自信作「奥丹波 木札」の紹介メモから。
ふるさとに住む人、遠く離れて暮らす人、それぞれに目を閉じれば、心に浮かぶ「懐かしの原風景」があります。
地元でとれた山田錦を原料に、自然に敬意を込めて醸しました。

この木札は、地元の「特別支援学校の生徒」が作ったものです。
校内の「木札工場」(期間限定)で、一枚一枚に心を込めて作られた木札は、「生徒たちの誇り」となっているようです。
作り手の姿を思い浮かべながら飲むお酒、ひときわ味わい深く感じます。

その夜はもう一つの企画が……。
私の木版画を実物で観たいとの要望に応えて、「三部作」を持参しました。
各人各様の好みであれやこれやと、さながら「作品品評会」の様相。

是非にと望まれた方にプレゼント。
お気に入りの作品を、自宅やオフィスに飾っていただく、これも「作家冥利」に尽きます。

物質科学は「世界の半分」

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約7割の方が、「デジャヴ(既視感)」らしき体験をお持ちとのこと。
そのような感覚が生まれる理由については、様々な仮説があります。

ザ正統派の脳科学者利根川進さんは、「デジャヴは記憶障害であり、脳がきわめて似ている2つの状況を、上手く区別できなかった時に起こる」と。
ぶっ飛んでる量子物理学者のミチオ・カクさんは、「異なる宇宙からの転移、あるいは(波動)の同調と関係あるかもしれない」と、自説の「パラレルワールド理論」との関連性を示唆。

仏教的な見方では、「輪廻転生による魂の記憶」、「前世の記憶」という解釈も。
さらにスピリチュアルな視点からは、「異次元の存在からのメッセージ」とまで‥‥。

いずれの見解も、科学的に証明されておらず、真実は闇の中。
世の中は、「実験できないこと」や「数値化になじまないこと」だらけです。
科学万能主義は、それを真実とは認めません。

「記憶はどこにあるのか」。
シナプスか、細胞か、臓器か、生体システムか、集合的無意識か‥‥。科学は未だ証明できていません。
そうであるなら、自分が「信じること」、自分の「好みに合うこと」を、正しいと考えればいいでしょう。

一つだけ言えるのは、「生命体は機械ではないこと」。だから、物質科学は「世界の半分」しか見てません。
私は「祖先の記憶」は、後世に引き継がれると信じています。
証明はできなくとも、「己の直感」に従うことが、「私の好み」に合うのです。

「祖先の記憶」を引き継いで

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世の中には存外、「縄文好き・土偶好き」の方がおられるようです。
私も縄文時代に「不思議な懐かしさ」を感じていますが、もっと「強烈なインパクト」を受けた芸術家がいました。

「縄文の美」を再発見し、日本美術史を書き換えた岡本太郎さん。
「火炎型土器」との出会いの衝撃について、このように語っています。
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し下降し旋回する隆線文、これでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」。

さらに「縄文土器にふれて、わたしの血の中に力がふき起るのを覚えた。我国の土壌の中にも、掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいることを知ったのである。民族に対してのみではない。人間性への根源的な感動であり、信頼感であった」とまで‥‥。

「アートの世界」だけではありません。「物質本位の価値観」しか持てなくなった人間に、「置き忘れてきた大切なもの」を思い出させてくれる。
そこに「縄文人」に「不思議な懐かしさ」を感じる理由があるようです。

私達の身体には、「縄文人の血」が流れています。
ある種の「デジャヴ(既視感)」のように、「祖先の記憶」が後世に引き継がれるのではないかと考えると、妙に腑に落ちます。