便利は人を幸せにするか?

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今日は大晦日。この1年はどのような年だったでしょうか。世の中を見れば、明るい出来事も暗いニュースもありました。今年の漢字は「北」ですが、私が選ぶなら「平」。幸いにも平常、平安、平穏な1年を送ることができました。

それにしても「便利な世の中」になりましたね。スマホがあれば、手帳も地図も辞書もいらず、カメラも時計も電卓も持ち歩く必要がないとは‥‥。さらにAIスピーカーも登場し、話しかけるだけで用が足りる時代がきたようです。

ずっと疑問に思ってきたことがあります。人間はどこまで便利になれば、気が済むのか。便利はやがて当たり前になり、もっと便利を求める「欲望のスパイラル」は、際限なく続くのか。便利がもたらす効用は、「人間の幸福感」を高めるのに役立っているのか。

我が身を振り返れば、読めても書けない漢字が増え、顔を合わさずメールで交流し、書評を読めば本は買わず、行きたい場所も写真で済まし、足を運ばずネットで買い物等々、「安易な手抜き世界」を漂流しているような気がします。

ある方のぼやきを思い出します。「便利になったら、節約した時間と手間を、本来やりたかったことに使えるはずなのに。かえって毎日が忙しく慌しくて、ゆっくり考えてる余裕などありゃしない」と‥‥。

私が木版画作りを心地よく感じる理由は、便利に流されることに抗って、「自分を取り戻せる」ように思えるからかもしれません。
超アナログで原画を描き、ミリ単位以下の緻密さで版木を彫り、絵の具の繊細な調合で色を決め、微妙な力加減で和紙に摺り込む作業プロセス。失敗したら、また一から彫り直し、摺り直しを納得できるまで繰り返します。
不便で非効率で手間がかかりますが、それもまた楽しいと思える「至福の時間」です。

「渺茫の宙」を見つめて

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木版画では、作品のオリジナリティを保証するために、余白に限定部数、作品名、作者名、制作年を自筆します。さらに作者の「秘めやかな楽しみ」なのですが、さりげなく副題を付けることもあります。
私の第二作「Owl in Blue」のサブタイトルは、「渺茫の宙」(びょうぼうのそら)です。「渺茫」という言葉で「無限の広がり」をイメージしました。

冬の星空はひときわ美しいですね。子供の頃、宇宙に星の数は、いくつあるのかと思ったりしませんでしたか。太陽系が属する銀河だけで2千億個あり、宇宙には銀河が1千億個以上もあるとのこと。気が遠くなるような数ですが、肉眼で見えるのは6等星以上。その数は9千個弱と言われてますので、北半球にある日本の夜空では、4千個程度が見えるようです。

大人になってからも、不思議に感じること。いま見ている星の輝きは、一つ一つが異なる「過去の光」だということです。オリオン座の星々を二次元で見れば、狩人の姿が浮かんできます。その実像は、地球からの距離が500光年から1500光年の間に散在する三次元空間の星々です。そう考えてみると、オリオン座もまた異なる姿に見えてくるかもしれません。

狩人オリオンの右肩に位置する一等星ベテルギウスは、超新星爆発の寸前にあり、世界中の天文学者が注目しているそうです。太陽の1000倍もある巨大な星が、地球から640光年の近さで大爆発した時、地球にはどのような影響があるのでしょうか。爆発の光が地球に届くまでに640年かかるので、既に消滅しているのかも‥‥。

そんなことを知ってか、知らずしてか、深い森に佇む「青のフクロウ」は、「渺茫の宙」を静かに見つめています。

金子みすゞの「月日貝」

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今日はクリスマス。八百万の神を敬い、お祭り好きの日本人にとっては、イエス様の降誕祭も楽しいイベントです。我が家でも昨夜は、KFCチキンと伊勢丹ケーキが食卓を飾りました。

旧約聖書の創世記には、「神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた」と書かれています。聖書が語る「太陽」と「月」が生まれた由来です。

前回ブログでは「月」にまつわる絵画に触れましたが、音楽なら何を‥‥。すぐに浮かんできたメロディは「月の沙漠」と「荒城の月」です。
「月の沙漠」は、アラビアの幻想的な風景をイメージしますが、作詞した加藤まさをさんは、結核療養で滞在した御宿海岸(千葉県)の風景から発想されたとのこと。画家でもある加藤さんは、御宿の海に輝く「美しい月」を観て、この詩のインスピレーションを授かったようです。
「荒城の月」は、旧制中学校唱歌の懸賞の応募作品です。四番には「天上影(お月様)は替わらねど、栄枯は移る世の姿」と。いつの時代も変わることのない「大自然の摂理」と「人の世の儚さ」を感じさせてくれる名曲です。

冒頭に紹介した創世記の言葉と、不思議にも重なり合う「美しい詩」があります。金子みすゞさんの「月日貝」(つきひがい)という作品です。

西のお空はあかね色、
あかいお日さま海のなか。
東のお空真珠いろ、
まるい、黄色のお月さま。
日ぐれに落ちたお日さまと、
夜明けに沈むお月さま、
逢うたは深い海の底。
ある日漁夫にひろわれた、
赤とうす黄の月日貝。

これほど豊かな感性を持つ詩人、金子みすゞさんには驚くばかりです。
ちなみに、表は太陽の色、裏は月の色の「月日貝」は、主に西日本で知られており、ホタテよりも美味しいとのこと。とても貴重な貝なので、一度食べてみたいですね。

いずれ「月に暮らす日」が

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お月様の話題を続けます。
「月は心の鏡」と言われるように、日本人は月に様々な思いを寄せてきました。日本の和歌の中で最も詠まれた題材も「月」だそうです。
万葉集から柿本人麻呂の一首をご紹介します。「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」。とても幻想的でロマンチックな情景です。

音楽や絵画の世界でも同様に、私が好きな東山魁夷や平山郁夫、川瀬巴水は、「月」の神秘的な美しさを描いた作品を数多く残しています。

地球の4分の1の大きさを持ち、29.5日の周期で姿を変え、光の速さなら僅か1.3秒の距離にあるお月様は、本当に身近な存在ですね。
「パパ、お月さまとって!」(エリック・カールの絵本)のように長いはしごで登っていかなくても、人間が「月に居住する日」はそれほど遠くないかもしれません。

米国は長らく中断していた月探査の再開を決めたそうです。日本の月探査機「かぐや」が、月の地下に巨大空洞が存在することを発見し、居住空間に活用できる可能性が示されました。来年にはグーグル主催の月面探査レースに、日本の民間チーム「HAKUTO」が参戦する楽しみなイベントがあります。

一方、車椅子の物理学者ホーキング博士が今年、気になる未来予測を発表しました。「人類に残された時間は、せいぜい100年しかない。急いで別の惑星に移住することを考え、実行しなければならない」と‥‥。

願わくは、博士が危惧する世界大戦や環境破壊による地球脱出ではなく、夢や希望のゆくえにある「月に暮らす日」を待ち望みたいと思います。
子供たちの体育の授業にも、いずれは「ムーンウォークの練習」が入るかもしれませんね。

「月に戻らぬかぐや姫」

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この時期はお気に入りのテレビ番組も次々と最終回です。私が選んだ今年のNHKドラマの最高傑作は「アシガール」。目立たない時間帯の放映でしたが、意外と多くの「隠れファン」がいたようです。
戦国時代にタイムスリップした女子高生の唯(黒島結菜)が、一目惚れした若君(健太郎)の命を守るために、足軽唯之助になりすまして大活躍するという奇想天外な物語です。

普段、恋愛物のドラマは見る気がしないのですが、原作は森本梢子さんの人気少女漫画。思わずクスッと笑ってしまうコミカルな演出がツボにはまり、毎回楽しませてもらいました。
一途で素直でユーモラスな唯と強く優しく爽やかな若君。主役二人の抜群の好感度に加えて、多士済々の脇役たちの個性も輝いていました。出演者が自然体で楽しんでいる様子から、制作チームの一体感が伝わってきました。

最も印象的なシーンは最終回。「唯を正室に迎えたい」との若君の願いに立腹した殿様に、天野信茂(イッセー尾形)がさりげなく語りかけます。
「唯には不思議な力がある。まるで我らに新たな命を灯しに参ったような気がする。遥か遠くから現れた守り神かもしれない」と。
確かに、唯は「月に戻らぬかぐや姫」のように思えてきます。原作者の森本さんに、そのイメージがあったかどうかは分かりませんが‥‥。

そういえば、かぐや姫の末裔が月に帰らず地上の男性と結ばれたという物語(安澄加奈さんの竹取異聞「いまはむかし」)もあるようです。

私の木版画デビュー作は「Owl in Orange」。サブタイトルを「月に思ふ」と名付けた作品です。次回も月にまつわるお話を続けます。

一村とゴーギャンにあやかって

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こんなに寒い日が続くと無性に南の島が恋しくなりませんか。
ハワイ島で眺める美しい夕陽、石垣島の色鮮やかな珊瑚礁と魚の群れ、西表島の神秘的なマングローブの森と鳥たちの鳴き声‥‥。

このような好き勝手な動機からではありませんが、奄美大島に移り住み日本画を描き続けた田中一村という画家がいます。中央画壇に認められず、失意の旅で行き着いた安住の地が奄美大島。自然の美しさに魅了され、亜熱帯雨林の植物や鳥を描いた独創的な作品を残しました。

彼の画風に魅せられて、田中一村記念美術館を訪れた際、移住後も不遇な時期が続き、高価な絵具や絹本を買うために、大島紬の染色工として働いていたことを知りました。生前は個展すら開けなかった一村の作品が脚光を浴びたのは、亡くなられた後のことです。NHK日曜美術館にて「異端の画家田中一村」を放映されたことが、彼の才能を世に知らしめるきっかけとなりました。

そういえば、かのゴーギャンも南国に憧れて、タヒチに移り住みましたね。
画家の新境地を開く場として、南の島は相応しいのかもしれません。一村やゴーギャンにあやかって私も、と言いたいところですが‥‥。
現在制作中の「Owl in Green」では、自然を描いた背景に「神秘的なオーロラ」を選びました。いかにも寒々しくて凍てつくような極北の景色です。

次に手掛ける作品はトロピカル調にしようと決めました。「南の島の生き物」は一村が好んで描いたアカショウビンかルリカケスか、樹木は椰子かアダンか、花はプルメリアかハイビスカスか、あれこれ考えていると、気分はすっかり南国モードです。

「部分の最善」と「合成の誤謬」

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A Iとロボットの話題を続けます。
将棋や囲碁の対戦相手、マルチリンガルの高性能通訳、車両の自動運転装置、医師の診断サポート、人命救助ロボット等に使われるなら安心ですが‥‥。
行く手に待つ「地獄の門」として、最悪の使い道は戦争やテロの殺戮兵器です。SF映画のような空想の世界ではなく、かなりの確率で現実化する恐れがあります。何故ならば、軍需用途には最大の「メイクマネーの力」があり、研究開発資金の供給源になり得るからです。
鉄腕アトムやドラえもんに親しみを持つ日本人には、心配し過ぎと思われるかもしれません。しかし残念ながら、「現実の世界」を動かしている仕組みはこのようなものです。
国家の指導者は「国全体の富を増やし、国民の生命と財産を守ること」、企業の経営者は「利潤を最大化し、ステークホルダー及び国民の暮らしを豊かにすること」、大学や研究機関は「最先端の研究開発で世界のトップランナーになること」、研究者個人は「多額の助成金を集め、研究成果の論文化と知財権確保により、名誉あるステータスを獲得すること」に最善を尽くします。
どの参画者にも、誰にも咎めだてされない大義名分があります。それでも結果的には「合成の誤謬」が生じます。
科学の目的は「真理の探究」であり、故に「価値中立性」を是とすると言われています。「使われ方の善悪」は、一切問われないある種の免罪符を意味するようです。非人道的な核兵器が使用されても、相対性理論と原子核物理学に何ら責任はないとのロジックには、何となく違和感を感じます。
自らの私財を投げ打って「真理の探究」に勤しむならまだしも、国民の税金を使った研究において「価値中立性」などあり得ません。科学の世界以外では通用するはずのない古ぼけた神話のように思えてきます。
A Iロボットが、人間が設定したルールの範囲内で制御できている間は、何とかなるかもしれません。悪夢は、コンピュータ自身が勝手にルールを作り出し、自律的な判断や行動を始めるまでに進化(暴走?)した時に訪れます。
原発事故で聞かされた「想定外」という言葉を再び繰り返すことがなければいいのですが‥‥。A Iの行く末において、「神の領域」には足を踏み入れず、「人間の領域」にとどまってくれることを願うばかりです。

「Owl in Green」の制作も佳境に入りましたので、次回からはアナログを楽しむ「花鳥風月の世界」に戻らせていただきます。

人工知能が開ける門は?

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「花鳥風月の世界」に没頭する日々ですが、時には世相に思いを巡らせます。近年、もっとも興味深く感じていることは、「AI技術の行く末」です。
人工知能と人間が競い合う実戦の場では、チェスの世界チャンピオンが10年前に破れ、続いて将棋のトップ棋士も負けてしまいました。最後の砦だった囲碁ですら今年5月、世界最強と言われる中国の柯潔九段がGoogleのAlphaGoに三連敗。存外早く、コンピュータが人間の頭脳を超える時代がやってきたようです。
最近の研究レポートでは、A Iやロボット技術の進歩により、現存する職業の半分程度が代替され、人間の雇用機会が奪われるそうです。
科学技術の発展は本来、「人間を幸せにすること」が目的のはずですが‥‥。
研究者たちは「AIもロボットも単なる道具に過ぎず、人間がどう使いこなすか次第だ」と説明します。本当にそうでしょうか。東日本大震災で制御不能に陥る以前は、原発関連技術者たちも、同じような言い方をしていたようです。
米国のノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンの言葉を思い出します。「科学の力には、善に使うべきか、悪に使うべきかの使用説明書はついていない。科学は天国の門を開く鍵だが、その同じ鍵で地獄の門も開けられる」。AI技術が開けるかもしれない地獄の門とは、果たしてどのようなものでしょうか。
何はともあれ、次世代の若者たちが働き続けるには、AIに置き換えられないような職務能力を身につける必要がありそうです。「記憶力と計算スピード」でコンピュータが圧勝し、「パワーと耐久性」でロボットに及びもつかないなら、「人間ならではの能力」を武器にするしかありません。
長くなりそうですので、続きは次回に。

後日談ですが、先日、日中韓の18チームが参加した囲碁世界大会が開催されました。名付けて「AI竜星戦」、人工知能の性能を競い合う大会です。生身の棋士であれば、局面に応じて汗を拭いたりお茶を飲んだり、様々な表情や仕草を見せてくれますが、無機質の機械同士の囲碁戦では‥‥。皆さんは観戦してみたいと思うでしょうか?

「消しゴムはんこ」がプレバトに

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プレバトの新企画にも取り上げられるほど、「消しゴムはんこ」が流行っているようです。才能ありなしの採点ポイントは、彫り方、押すセンス、デザインの三つですが、木版画家としても「むべなるかな」と納得です。
全体の構図(デザイン)を設計し、消しゴムに転写した線を正確に彫り進め、絵の具の量や摺る(押す)力加減で、表現したい色調を微妙にコントロールすることにより、作品の出来不出来が決まります。
実は、多色摺りの場合はもう一つのポイントがあります。数多くのはんこをズレなく組み合わせるための位置決めをどうするかです。木版画の場合は、カギ見当と引きつけ見当(これが「見当を付ける」という言葉の語源)を用いて、縦横を精度よく決めています。はんこの場合のやり方について、プレバトの田口奈津子先生や特待生の千原ジュニアにお会いしたら、お尋ねしてみたいですね。
それにしてもデジタル技術を使えば、なんでも簡便に作れる昨今のご時世に、どうして手間がかかる「消しゴムはんこ」が流行るのでしょうか。
おそらく、人間の内心に本来的に引き継がれてきた「自らの手で、何かを作ること」(創造)の喜びを満たしてくれるからでしょう。世界でたった一つのオリジナルアートが、誰にでも簡単な材料と道具で容易に作れること、とても魅力的ですね。
私のようなアナログ世界の住人としては、「消しゴムはんこ」(erasercut print)であろうと「木版画」(woodcut print)であろうと、同好の仲間が拡がることは大歓迎です。

ミネルヴァのフクロウ

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前回ブログに書いたフォーク・クルセダーズの「芸術家、科学者、そして宗教家」は、こんな歌詞から始まります。

"体は重くて 心は軽くて
命の重さは どれくらいだろうね
海があふれて 陸地が消えて
地球 次第に 熱くなってるね
ああ人間たちよ 元気でいるかい
そうさ芸術家 今だ科学者
そして宗教家 何とかなるか"

地球環境問題への危機感から、いわゆる知識人と称する人々のリーダーシップを問いかける内容です。フォークル流のややシニカルなトーンが続き、三番には"政治家たちも 軍人たちも 同じ船に あわてて乗り込んで"というフレーズが出てきます。
作詞した北山修さんは、人類共通の課題の前で、指導的立場のお偉方を頼りにしても「どうせ何も出来やしない」と冷めた目で見ているのではと思えてきます。
この歌の最後の一言で、本当はそうでもないこと(一縷の望み)が分かります。

"そうさ芸術家 今だ科学者
 そして宗教家 知恵を合わせて"

知識人はそれぞれ別個の専門世界に閉じこもっていないで、今こそ能力を結集して「人類共通の課題」に立ち向かっていこうよというメッセージなのです。

「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」というヘーゲルの謎めいた言葉を思い出します。「あらゆる事象はその歴史が終わらなければ、真実の姿が捉えられない。故に学問が真理を見い出すのは、対象とする事象が歴史的終焉を迎えた後のことである。」と解釈されています。
かけがえのない地球の環境破壊も、あってはならない核戦争も、破壊された後でしか、人間の知恵が活かされないとしたら、本当に「悲しくてやりきれない」ことだと思います。