最も美しきものは

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芸術は「美への感動」から始まると言われています。美の対象は、人それぞれかもしれませんが、誰しもがきっと「感動する程の美しさ」に出会った経験をお持ちでしょう。
「宇宙と生命」「自然と生き物」という私の木版画のモチーフも、ここから生まれました。この世の中で「最も美しきもの」と感じられる世界を、自分なりに表現してみたいという動機です。
かのアインシュタインは、「私たちが経験できる最も美しいものは神秘である」と言いました。この言葉に共感します。おそらく未来永劫、人知が及び得ない神秘の世界、それが「宇宙」と「生命」ではないでしょうか。
言葉にできない「神秘的な美しさ」であっても、アートならば表現できるかもしれないと夢見つつ、試行錯誤を重ねています。
科学技術の進歩が目覚ましい今日では、デジタル絵画や写真の方が近道なのかもしれません。しかし敢えて、自然由来の材料と超アナログの手作りにこだわって、作品の制作に取り組みたいと思っています。

言葉がいらない世界

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木版画を「好きで面白い」と感じる所以について、前々回のブログに書きましたが、もう少し掘り下げてみましょう。木版画も絵画のバリエーション。私にとって「絵を描く意味」は何なのかを考えてみました。
人間には「内なる想い」を表現したいという生来の欲求があるようです。表現の方法は様々ですが、大きく分けると小説や詩歌のように「言葉に拠る表現」と絵画や音楽(歌詞なし)のように「言葉を使わぬ表現」があります。
私の場合は、長年の「言語脳の呪縛」から解放されたいという憧れが、木版画に魅せられた動機になったようです。
絵は「言葉がいらない世界」。描く人は「描きたいと想う何か」を、自らの感性が導くままに「カタチとイロ」で表現します。観る人は、自身の内面を絵に重ね合わせ、それぞれ独自の感じ方や受け取め方をします。
描いた人の想いが奈辺にあろうとも、観る人は「己の心のあり様」を鏡のように映し出し、絵から伝わるメッセージを読み取ります。安らぎや心地よさ、勇気やエネルギー、優しさや励まし等々、観る人それぞれが感じ取る「非言語のコミュニケーション」と言えるのかもしれません。
言葉は、対象をラベリングしカテゴライズすることで、あらゆる物事を鋳型に嵌め込みます。絵は、描く人にも観る人にも、言葉の鋳型を忘れさせ「情動や情緒を司る脳」を自由に遊ばせてくれます。
私の木版画を観て、彼は何を感じ取ってくれただろうか、彼女にはどのように伝わっただろうか、あれこれと想像することも作り手の楽しみなのです。

道具か、腕か?

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一昨日、上石神井の版画用品専門店「ウッドライクマツムラ」が主催する木版画技法の講習会に参加し、講師の後藤英彦さんから、ばれんの竹皮の包み直しを教えていただきました。後藤さんは日本唯一のばれん専門工房「菊英」の代表で、知る人ぞ知るこの道の第一人者です。一流の職人の「匠の技」を、直々に見せてもらえるだけでも貴重な機会ですが、ついでにかなり使い古した私の愛用ばれんの竹皮をリニューアルすることができました。
木版画の摺りには、ベタ摺りやボカシ摺り、ゴマ摺り等の多彩な技法があり、最適なばれんの選択と使い方次第で、迫力ある表現や繊細なタッチを摺り分けることができます。子供の頃に使ったばれんは数百円でしたが、プロの版画家が使う最高級の本ばれんは十数万円もします。
「弘法筆を選ばず」という諺があります。その道の達人になれば、道具の良し悪しなど問題にしないという意味ですが、同じ意味の英語の諺では、“A bad workman blames his tools” だそうです。「道具なのか腕なのか」の自問自答は、プロアマ問わずあらゆる分野で上達を目指す方々が通る道でしょう。
その答えは二者択一というよりも、「スパイラルアップする相関関係」で考えた方がよさそうです。腕が道具を使いこなす要素と、道具が腕を鍛え磨く要素が絡み合いながら、高みに向かって段階的に登り続けるイメージです。
ちなみに弘法大師は、実際には書体によって筆を使い分けたとも言われています。
当日は「道具へのこだわり」の誘惑に負けて、後藤さんの自信作である「スーパーむらさきばれん」を、思い切って購入してしまいました。只今制作中の「Owl in Violet」とネーミングも符合しており、何かのご縁を感じたのかもしれません。